理事長挨拶
コウジン・ヘルスケア・グループでは
職員に向けて「あなたと共に」の心で
医療を提供させて頂く心が大事であることを
伝えています。
以下が職員に宛てた内容です。
社会医療法人 鴻仁会
理事長
金重 哲三
「あなたと共に」という思いで「支援」する
経営理念の2番目の項目に「私たちは支援する病院です」とありますが、支援とは何でしょうか?
支援するという以上、もちろん何らかの行為をするのですが、「支援」する際に最も重要になるのは、行為そのものよりも、行為を行う時の心の在りようではないでしょうか。「あなたのために」では、支援になりません。「私」が強調される傲慢ではダメだし、施しという上位の立場でもダメだし、自分への見返りなぞ心の貧しさ以外の何ものでもありません。医療者としての私たちに出来ることは、「たかが知れている」と謙虚になることです。
実際、患者さんが自分の力で回復していく、あるいは、衰弱していくのです。どちらの場合でも、私たちができることは、ただ傍にいることだけです。おこがましいことを考えるのはやめましょう。患者さんや家族に関心を持って、傍にたたずみ、微力ながらも、相手に力を尽くすのです。相手の役に立つことならば、できることをすればいいのです。
Not doing, but being.
「何かをすることではなく、そばにいること」
これが、「あなたと共に」の行動です。傍にいるということそのものが、関わりのすべての根源になっているのです。「あなたと共に」という心の在りようをなくして、「支援」はあり得ません。支援とは、何かをするという行為というより、行為するときの心の在りようで、「あなたと共に」という思いで、相手に関わっていくことです。「私たちは支援する病院です」とは、「あなたと共に」という思いであなたに関わり、「あなたの役に立ちます」ということです。
関心を持つ
「関心を持つ」ということが、「あなたと共に」の最も重要な要素です。マザー・テレサは、「愛の反対は憎しみでなく無関心」と述べましたが、「関心を持つ」ことなしに、「あなたと共に」はあり得ないのです。相手のことに真剣に関心を持ち、傲慢にならず、卑屈になることもなく、相手の役に立つことをするのです。慈悲に満ちた関心を持って寄り添うことで、「あなたと共に」在ることができるのです。心を育てないと、「あなたと共に」在ることは出来ないのです。善く生きることが出来ていないなら、関心を持つことも出来ないのです。
私生活、仕事、人の関わりなどにおいて、関心が希薄な人もいます。マザー・テレサの言う「無関心」です。自分のこと以外は、すべてに無関心な人は、相手も見えないし、周囲も見えないし、組織も見えません。関心があるのは、自分のことだけです。自分以外はどうでもいいから、本気で関わることがなく、人との関わりも、仕事の関わりも、見せかけだけです。
「関心を持つ」ことは、生きることのあらゆる面での根本をなすことです。その証拠に、ヒトは、自分に関心を寄せてくれているかどうかについては、敏感すぎるくらい敏感で、一瞬で判断します。
原始の時代から、関心を持っていてくれるかどうか、あるいは危害が加えられるかどうかは、自分の生存にかかわることだから、あらゆる思いの中でも、最も敏感になる思いなのです。敏感だから、関心が薄ければすぐに伝わります。患者家族も、ボランティアの人たちも、一緒に働いている仲間も、表面的な関心しか抱いていなければすぐに見抜いて、心からの信頼を寄せることはありません。
非常に大切な(matter)方
近代ホスピス運動に重要な役割を果たし、聖クリストファーズ・ホスピスを設立したシシリー・ソンダースは、次のように語っています。
あなたは最期の瞬間まで私たちにとって、
非常に大切な(matter)方です。
私たちは、あなたが平安のうちに死の旅路に旅立つためでなく、
最期、あなたが亡くなる瞬間まで、
人生を満足に生きることができるよう、最善を尽くします。
これは、「あなたと共に」の究極の姿ともいえるでしょう。関心を持つことは、その人に対し、母が子供を大切に思うよう気持ちを抱くことです。「非常に大切な(matter)方」の「matter」は、ラテン語 mater 「母」に語源があり、「新しい生命を生み出す木の内部」という意味です。母という存在が持つ意味の核心部分を言い表すのが「matter」です。寄せる思いの中核を成し、真摯な関心です。相手が人生を満足に生きることが出来るかどうか、それは相手の問題ですが、関わる私たちは、「非常に大切な(matter)方」として、真摯な関心を寄せるのです。
「Not doing, but being.」
「Not doing, but being.」ということです。真摯な関心を寄せるということは、行為ではありません。これは重要な点です。間違えやすいところですが、何かの行為をするのが、重要なのではありません。行為をしていると、いかにもよいことをしていると自惚れがちになります。しかし、手段に堕ちてしまいます。手段ではないのです。手段は見せ掛けです。そうではなく、あなたの存在そのものが、相手に響くのです。善く生きているなら、善く生きている存在としてのあなたが在ること、それ自体が真摯な関わりになっているのです。「Not doing, but being.」、「何かをすることではなく、そばにいること」とは、そういう意味なのです。
その意味において、「あなたと共に」は、易しいことではありません。あなた自身が善く生き、心を成長させていることが、大前提です。医療に関わるものは、もし真摯な気持ちで関わろうとするなら、自分の心の成長から始めなければなりません。我々のコウジン・ヘルスケア・グループにおいて、医療に関わるなら、「あなたと共に」は、最も重要な基本姿勢です。